(来るべき20周年記念として、スペイン・バルセロナを本拠地としている、Bienvenido Andino、ヨーロッパ編集者がWaterless Current 2011.10月号に執筆)
水なしオフセットの印刷方法がカスパル・ハーマン(1871-1934)によって発明されて以来、このプロセスは、「空想家」とも言える、多彩な一匹狼の革新者によって推進されてきた。この創造性の満ちた革新のお陰で、水なし印刷のより高品質、より経済性と環境適性が図られてきたのだ。ドイツの発明者ヘルマンは特許を申請したが、1931年に水なしオフセットの特許の取得に失敗する。彼がライプチヒ春季フェアで4色印刷刷りを展示した時に、何人かのグラフィックユーザーによって高く高く評価されたけれども、誰も、その高品質の新しい印刷プロセスに金をかけてくれようとしなかった。そこで、彼の発明プロセスを新天地での売り込みを狙い、カスパル・ヘルマンは1932年にアメリカに引っ越した。しかし、アメリカのグラフックアーツ市場も彼の水なしオフセット印刷の方法を受け入れなかった。
水なし印刷の歴史
1967年に、以前の3M社が世界最初の商用・水なしオフセット版をdrupaで発表した。しかし、この版は傷がつきやすくこの革新版は受け入れられなかった。それにもかかわらず、この概念にすっかり魅惑されて、決して、「乾式オフセット印刷」の価値を忘れなかったハロルド・エイモスのような印刷人がいた。
数年後、乾式平版印刷として知られていた米国の3M(ミネソタ採掘製造会社)から、東レ株式会社は水なしオフセットの特許を買い取った。このプロセスは、日本の印刷市場でそれから、目立った成果と積極的な反応を出してくれた。
この印刷方法を証明する力入れは偉大なもので、絶え間ない執着心のもとで文祥堂印刷、大日本印刷、凸版印刷、および、何社かの重要な印刷会社によって継続してくれた。彼らはこの東レ水なしオフセット印刷版での好結果を背景に、公式に1977年のドルパ展にデビューしたのである。
東レと「やり取り」の中で、ドイツのMarks-3zetのエルンスト-マイケル・マークス博士がヨーロッパの水なしのパイオニアは引き継ぐことになった。西欧のきびしいグラフィックス完全主義者を相手では容易な仕事ではなかった。1982年以降、製品を配布することが市場に参入拡大に役立つであろうとの考え方を実践し、それを証明した。ドイツ市場での大きなシェアの確保は彼らの努力で、成功の栄誉を冠してくれた。
イギリスのクラシックカラー社のデイビッド・グレーとスウェーデンのSchneidler Grafiskaのジャン・スカンツェのような他のパイオニア達も、最も早い段階でのプロモータを勤めてくれた。
米国のPrint1991展で、水なし印刷は華々しいデビューをし、見事なポスターが展示会場で印刷実演された。その印刷物は400線と言う、聞いたことがない高細線のものであった。この努力はジョン・オルクによって導かれてもので、彼はその後、東レ北アメリカのために働く。
水なし印刷の、技術的な進化を開発することと同じくらい、世界の他の印刷人にこれを「伝達すること」がさらに、重要なことである。米国では別のタイプの空想家によって開始されたのだ。1992年に非営利団体・WPA(水なし印刷協会)を共同設立したのが、アーサーW.ラフィーバー。 私は、その組織の国際化に伴って、後で名誉会員に追加した。アーサーはこの組織を信じていて、技術的知識の交流、潜在的な会員層により高品質印刷を水なしでこなせられると納得させるのが目標とし、協会を通してのよい情報を広めるとことを決めた。 約40,000社の懐疑的に見る米国の印刷人によって取り囲まれつつ、また、世界中の多くの印刷人に納得させる難しい仕事に直面していた。中には入会後、1年で会員を脱会する方もいたが、有力会員であるベルギーのDeMorgen新聞とか、スペインのRoldan Graficas、などは、IWPAによってデザインされて、意匠登録マークとなっているオオカバマダラロゴを誇らしげに継続して掲示し続けている。
さらに、これらの産業活動でのエコロジカルな献身を示すために、「このロゴは、違った形で、私達とビジネスで快く受け入れてくれない、いくつかの会社で気にさせる効果を持っているかもしれない。」と、UVインクを使い、4000万枚のクレジットカードを世界に納め、毎年、継続製造しているある水なし印刷業者は述べる。 IWPAによって述べられるように: このバタフライは環境の質、水なしの印刷の持続、および美を象徴している。
IWPAは重要な技術問題で会員を助けるか?
ラフィーバーさんは、その世界的なメンバーの間で国際水なし印刷協会のステータスを上げるのに数年かかった。申し分ない印刷結果はいつも達成されたわけではない。しかし、彼が、水なしの印刷プロセスの技術の洞察を伝達するためにした仕事を振り返って、それが、協会を創設した価値であったと言うことができる。重要なことは: 必要に応じて彼は技術的な質問を受け入れてくれ。IWPAのどのようなメンバーでも世界にどのような場所への「実用的で、有益なリンク」を張っていた。私達の国の実用的なケースで、スペインのラベル印刷会社でインクがプラスチックの表面に食らい着いてくれない問題を持っていた。基本的な問題は以下の通りであった: 印刷機にかける前にコロナ処理を施しているか? 実用的な知恵を借りて、あなたはコロナ放電の有効期限にチェックしたか?
両方のケースはコントロール下にあり、それにもかかわらず、問題はまだ残っていた。ラフィーバーさんはこれに取り組み、以下の要領で彼は会員と協賛会員に関する知識を使わせてもらった。
解決過程: 同じような仕事をしている印刷会社をチェックしたした後に、オーストラリアに同類の業者が同じ問題を抱えていたことが判明した。そこで、スペインの印刷会社が述べられた不満に応えられる特別インクのサンプルを前に解決してくれた実績を持つイギリスのクラシックカラーから特別インキを問題先に送ってもらった。
そのような助けによって、彼らは問題を解決した。この完全な解決に、落ち着くまでにたった20時間ですんだ。数段階の過程を経るが、IWPAの実用的な助けなしで、会員は同様な結果に達するために奮闘し続ける必要があるのか? そのような推論は、利点を強調するメーカーの「ハイライト」であろうが、実技では印刷会社がが直面している難題を見渡して、それを解決せねばならない。
別のケース。印刷業者が、彼のクライアントから、使うことを要求されるかもしれない「エコロジカルなインク」について突っ込むとどうなるか? IWPAは、水なし印刷会社である場合、それらが「大豆油などの植物油で基づいたインク」であると興味をもたれたものに答えるであろうが、「本当にエコロジカルな水なしオフセットインクは現在DICを通して日本の印刷会社に提供されている製品、水洗浄性インキW2インキがある。」と、そのようなその他の情報を得ることができる。
東レ版の開発のように、W2インキは元来米国で発明された製品で、その完成をするのにDICの手を必要とした。 明らかにグローバルな基礎についての情報交換、IWPAは中でその「兄弟組織」の日本WPAと連絡するであろう。日本には水なし印刷技術の先進情報が手持ちされている。
終わりに
水なしオフセット分野での販促、技術の活動がされてから20年目の年に速く近づき、熱狂的で、博識なプロ、アーサー・ラフィーバーによって導かれて、IWPAは新しいゴールに到達し、IGAS 2011において、第2回世界会議を迎えるにあたり、「2012でリセット」を図りたいものだ: a) アイデアを交換し、具体的な水なしの印刷問題(メンバー同士、メンバーとメ関連メーカーの情報交流) b)スペシャルプロジェクト、環境問題を含めて、水なし印刷の測定基準を設立し、決められた基準の元でのテストと指導で問題を解決するより大きな技術のフォーラム。 前者によって、エコロジカルな環境において水なしの印刷の使用を強調し、社会的な認知を図る必要がある。
2002年以来、活動的な日本WPA、「欧州大陸」には、IWPAの会員もいて、また、欧州水なし印刷協会(1996年創設)があるが、ちょっとした批判もある。非ドイツ系印刷会社をどれぐ らい引きつけるかの観点でE(ヨーロッパ)に取り替えるべきであろう。
彼らがそれらの仕事を約1億人の人および12.000社の印刷会社と国(ドイツとスイス)を話しているドイツ語に集中することによるG(ドイツ語の)でないものにしていただきたい。国際的水なし印刷協会は、いっそうよりよい性能のためにきっと2012年から大きな変化を導入するのを楽しみにしている。それにもかかわらず、私達がドイツのステートメントに従うなら: Wechesel ist Vorschritt(変化は進歩を意味する)、IWPAはほぼ20年経過したが、IWPAは、熱狂的なプロフェッショナル、アーサー・ラフィーバーがリードし、水なし印刷ののフィールドの生のサービスでライブ、そして生きた動きをしてくれた。
アーサー・ラフィーバーさん、それを達成したことについての報いはどう? 「それをしたとは」、最もよい条件下でではなく最高級のサービスを供給する目標に向かってである。少なくとも、これは今の私の意見である。 すべての過去のあなたの援助に深く感謝する。