(株)アイカのDream Factoryが本格稼働に入り出し、文字通りDreamを再現してくれている様子を伝えている。
印刷単価の下落する中にあって、同社はいちはやく、フルフィルメント路線が軌道に乗り、業績を上昇軌道に乗せている。その中心設備が、水なしサンデープレス4000(A倍判5/5輪転機)、さらに、ウエブ8+eコートと言う、PP貼りに変わる自社開発のUVニスコーティングである。環境面で一歩先んじた仕組みを構築され、しかも、すぐれたフルフィルメント路線のお陰で、クライアント筋から大変な信頼を獲得してくれている。
W2インキは1998年、米国でその開発構想が発表され、2年後、Amos Communications社で商用のためのβーテストに入った。同社も、本格採用の意志を表示した途端、メーカー筋は理由を明らかにしない中、その生産をドイツのサンケミカル社に移管してくれた。ユーロカラーのW2インキが誕生し、一部で使われ出されてはきた。しかし、その洗浄液が強アルカリであるが故、印刷現場での使いにくさが付きまとい、ノンVOC上では決定的な印刷システム材料と見なされていたが、印刷現場での採用は進まなかった。
2004年日本では大気汚染防止法の施行が間近になり、印刷現場でのVOC削減と言う課題に大変意欲を注いでいた、久栄社の田畠社長、文星閣の奥社長は印刷物のVOC放散量計測に取り組み出した。
印刷物、印刷室のVOC放散量の計測をする中で、日本WPAはW2インキを見直し、2005年2月、日本WPAの一行4名は、Hartmann社(ドイツ・サンケミカル社)を訪問し、開発責任者のDr.Fritzと面談し、その開発コンセプトと製品内容を教えていただいた。幸い、このサンプルW2インキを分けていただき、文星閣でテストの結果、これは実用品として使えるとの確信を得た。そのVOC計測を含め、2006年2月、東京都VOC対策アドバイサリー制度にのっとり、文星閣の水あり工場と水なし工場で行った。結果、W2インキのVOC放散量が大変低いこと、水なし印刷の印刷現場は水あり印刷の印刷現場よりVOC放散量は低いことがつきとめられた。
紆余曲折を得て、2006年年央に、東レが強アルカリに変わる、中性のW2洗浄液の開発に成功する。これでW2インキの欠点の一部が取り払われ、W2インキの日本国内での開発に弾みがつく。一連の現場テストの結果、改善項目は若干出てきたものの、2次改良製品がリリースされる段階になってきた。
この間、数奇な運命をたどったW2インキの開発の歴史は米国、ドイツ、最後は、日本の技術者の手に渡され、約10年近くの歳月のもと、W2インキと中性洗浄液が対になって世に出るまでになってきた。このようなくだりをArthur編集長は述懐してくれている。
フランスの知識人をリードする日刊紙、フィガロ紙は水なし印刷で印刷されることになった。世界主要紙では始めての、日刊水なし印刷の新聞が誕生する。